スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

信濃における伊賀氏

あまり知られない信濃における伊賀氏の資料です。  「宗教法人 福満寺」管理の伊賀藤原時盛願文 

https://www.pref.nagano.lg.jp/kyoiku/kyoiku/goannai/kaigiroku/h26/teireikai/shiryo/documents/987-5-3.pdf#search='%E4%BC%8A%E8%B3%80%E5%85%89%E8%B3%87'
スポンサーサイト

若狭と伊賀氏

こちらは、若狭の伊賀氏について記載されています。



http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-04-03-03.htm

岐阜城(稲葉山城)と伊賀氏

岐阜城(稲葉山城)と伊賀氏についての記載です。

http://enya-kk.seesaa.net/article/415971725.html

そして、伊賀氏は、稲葉やあの安藤守就の安藤として美濃に勢を根付かせました。

この関係を知ると、竹中が稲葉山城をわずかの手勢で押さえた背景も見えるかも、、、。

忍山城跡

P1000807.jpg
岡山市北区上高田の忍山城へ行ってきました。
この城は虎倉城の支城で、築城は伊賀久隆、城主は伊賀伊賀守家久です。

伊賀久隆が宇喜多直家に毒を盛られる事件後、嫡子伊賀与三郎隆家(後の伊賀家久)は復讐を誓い、まずは、宇喜多方の岡郷介の守備する備前備中の境目城で大井⇔建部往来の拠点であるこの城を奪い返すため、毛利方の小早川隆景に忍山城攻略の応援を依頼しました。
自らが先陣を切る旨を申しましたが、小早川は「忍山城は毛利方で攻める」とし、伊賀家久は勝尾に潜み、宇喜多直家がやってくるのを待ち受けました。しかし、直家は出陣せず、家久は宇喜多直家を討ちとることができませんでした。
 後、伊賀家久は、宇喜多方の金川城を夜襲し、城兵五十七の首を討ちとり鬱憤をはらしました。

そして、毛利方に味方した伊賀家久は備中高松城戦後、備中吉川の地に居し、この忍山城主として、大井、吉川他3万石を領しました。
(この忍山城襲撃時は、最盛期で約20万石ともいわれます)

そして、伊賀家久には最大の苦難、備中高松城戦に突入していきます。

P1000799.jpg

P1000768.jpg

P1000770.jpg

P1000836.jpg


伊賀一族として


最近、伊賀一族に、不名誉な事がありました。



詳細は申し上げませんが、この吉備の地において、伊賀氏は古くより、己が為、一族のため、地域のため、ひいては日の本のため、血と汗と泥にまみれ、名門としてその存在を誇示してきたはずです。

その祖先の栄光と労苦の歴史を現代の我々は風化させることなく未来につながなければなりません。
決して、泥を塗るようなことはあってはなりません。

気位ばかり高くてはダメです。
気品と五常の精神性を持ち、世のため人のために尽くせる存在であってほしい、と思います。


くれぐれも、伊賀氏一族として、虎倉城の末裔として、人に後ろ指さされるようなことなく、品位を持って、先祖の栄光を汚すことのないよう切にお願い申し上げます。
カテゴリ
プロフィール

野楽人(のらくんど)

Author:野楽人(のらくんど)

最新記事
月別アーカイブ
最新トラックバック
最新コメント
TOEICボキャドリル

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。