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徒然に雑記

 さて、暫く御無沙汰いたしておりました。私の能力的には「一応、内容的には語られたのかなぁ」と思いましたところ、急に筆がとまりまして、、、。


 暫くの間、ブログ掲載は継続しようと踏みとどまり、苦肉の策としまして、私のくだらぬ雑記でも載せながら様子伺いをしようかとの算段であります。
 皆様のご厚情に感謝です。


 「お前のくだらない能書きは結構!」とおっしゃる方は本編へどうぞ!



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天正二年(1574)四月 虎倉合戦(加茂崩れ)

 天正元年、織田信長はついに京都へ上り天下の覇者となるべく立場を固めるところまできました。
毛利氏は、永禄二年より、備中に釘付けにされたままでした。そこで、毛利氏は大将毛利輝元自ら芸州を出陣、副将小早川隆景は沼田の城を出立、毛利本隊の芸州勢の精鋭により、一挙に備前の要衝 虎倉城攻略を企てました。

毛利の大軍の前に周辺の出城、国境付近はあっという間に落とされていきました。

そして、四月十四日、虎倉城の攻防、虎倉合戦、毛利方のいう加茂崩れとなります。

旧暦4月14、15日
(6月3、4日) は 虎倉合戦の日 です!

多くの人々が、命をかけて守るべきもののため意地を懸け、血汐をたぎらせ、義に、忠に従い礎となりました。今一度、謹んで平伏いたします。


 戦国乱世の備前平野にひと際の光彩を放った知謀の将 伊賀久隆
 天正7年旧暦3月16日(5月6日) 七十余歳 にて没す

皆さま、虎倉に向かい、胸の内に拝して下さいませ!




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3月11日 悲しみを越えて!

今年も3月11日がやってきます。もうあの日あの悪夢から、1年が過ぎようとしているんですね。
1年を迎え、TVでも連日あの日の映像が繰り返されていますが、見るにつけ、言葉にならない悲しみでいっぱいです。月並みですが、復興の日が1日でも早く、全ての人に笑顔が戻りますように、、、。

 真摯に生きる事の意味を考えさせられ、命の尊さを痛感させられます。
 この国に生きる全ての人に幸あらんことを!



3月11日、当家は摩利支天社が古くなったため、新たに新築し祈祷を行った日でした。祈祷を始めると、辺りは一転、猛吹雪で横殴りの雪が吹き付け、カラスが泣き叫んだ事を思い出します。
その重なりから忘れようがないインパクトだったんですね。












藤原秀郷を祖とする伊賀氏は、そのルーツを遡れば、決して東北は無縁の地ではなく、古くは縁故に奥州藤原氏及び佐藤継信、忠信兄弟、更に佐藤義清(西行法師)などがおり、光宗、光季や朝光の頃は、常陸国、上野国等の地頭となっていました。



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健忘症?誰か教えて!

虎倉城の周辺に「一夜掛けの地」がありましたよね?
ふっと思い出し、いってみようと思いましたが、どうも記憶があいまい。どこだったかわかりません。私は宿のほうではなかったかとおもっているんですけど、どなたか教えて頂けません?

伊賀氏が虎倉から逃げる際、仮に一夜を過ごしたといわれる場所です。
なんか、看板がありましたよね?




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ツイッター投稿まとめ 宇喜多、松田と伊賀の関係は?

ツイッター投稿まとめ

伊賀氏と宇喜多、松田の関係は?


伊賀久隆はwikipediaなどの記載にあるような宇喜多直家の家臣ではありません。松田の家臣でもありません。地頭で地方国人ですが、足利幕府の御家人で将軍近習の流れです。宇喜多とは縁戚関係ですがあくまで、4者同盟によってのつながりです。



宇喜多や松田の家臣とする考えは時代背景から、西備前で勢力をはかったのが松田氏で、応援に駆け付けた記帳書が家臣も与力も同じ記載になってしまっていたところからでしょう。別に、宇喜多や松田の禄を食んでいたわけではありません。足利幕府の御家人です。

(追加)
宇喜多に関しては身内衆となります。相互関係によって宇喜多の戦に出陣していた事は事実です。

全国の「伊賀」様および興味をお持ちいただいた皆様へ

本ブログへの掲載を怠って早3ヶ月が経過しようとしております。

なんだか、一度止まると、止まり癖?
色々、諸々ございましてなかなか進まず、言い訳をつらつら、と。

して、皆さまからご意見、所見、各家の情報をお聞かせ頂き、より「伊賀氏」および「備前虎倉城」、備前戦国史などについての相互交流、研究の絆を深められれば、などと この度皆様に問いかける次第でございます。

等、野楽人(のらくんど)の個人Face Book
https://www.facebook.com/events/list#!/eiji.iga

にアクセス頂き、リクエスト下さいませ!

加茂崩れ「虎倉合戦」 - 「平岡の千人塚」

「平岡の千人塚」

 天正二年四月、毛利輝元自ら大将として出陣した虎倉合戦。毛利方は破竹の勢いで虎倉に侵攻したが、伊賀久隆により、大敗を喫し粟屋与十郎をはじめ多くの戦死者を出しました。これを「加茂くずれ」と呼びます。

この合戦で戦死した多くの毛利兵を弔った場所が「平岡の千人塚」です。


SENNINTUKA1.jpg


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