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毛利氏中国西部の大半を制す(弘治三年 1557)

芸州吉田荘に興った毛利氏は、大内、陶、尼子等の中国地方の諸勢力を破り永禄二年(1559)には備中国以西の中国一円を掌握し、朝廷に備中平定の事を奉上しています。こうして、、西国の覇者となった毛利氏が天下を望んで上京を進める意図を持つのは必然であろう事です。甲斐の武田信玄、駿河の今川義元、尾張の織田信長等東国の雄者が夫々に風を望んで京を目指して兵馬を進める時、「毛利は天下を望まず」と東上の通路を拓く軍略を否定する事はありえないことでしょう。また、この永禄から天正年間にかけての備前、備中、美作における毛利の戦い方を見れば、東上の通路開拓は間違いない事実です。毛利氏は、小早川氏を将とするすぐれた水軍を有し、海上においては、瀬戸内から摂津にかけて制海権を握っていたが、陸路の確保はどうしても必要であったのでしょう。
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