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宇喜多直家、風を読み毛利、尼子の間を泳ぐ事

三村元親と戦い勝利した宇喜多直家は、毛利に与し備中へも進出し勢力を伸ばしました。
永禄九年(1566)、月山富田城が落ちて散っていた尼子の家臣であったが、家老の山中幸盛(鹿之助)は京都において尼子家の再興を計り、尼子孫四郎勝久を大将に推し立て、備前、美作の両国に到り、宇喜多直家を利をもって誘いました。
「貴殿が尼子家に味方され、尼子家が再び家を興すことができたならば、そのときは早速にも備中一国を切り従え、そのまま宇喜多家に進呈するであろう」
山中鹿之助の使者吉田三郎左衛門は、このような趣旨を記した山中幸盛の書状を差し出し説得しました。これを聞き、直家は、毛利家に背く肚を決めたのですが、今はすぐに機は熟さずとそぶりを見せませんでした。
しかし、浦上宗景がこの密約を嗅ぎ付け毛利家に使者を送り、毛利家と和睦し直家を討ち取ろうと計画しました。
「宇喜多直家が尼子の旧臣山中鹿之助の誘いに乗り、毛利家を裏切りました。裏切り者の直家を誅伐なさいますならば、この宗景が御先手を勤めさせて頂きます」

そして、浦上宗景は毛利家に属し、宇喜多直家は尼子家の再興に協力したので、宗景の天神山城と直家の亀山城の対立は深まり、小競り合いを繰り返しました。

毛利側は、宇喜多直家が約束を破棄し尼子方に加担し毛利に背いた事から、備中への出陣を用意していました。
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