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虎倉合戦 1

虎倉合戦について記載されている文献は、備前軍記の外、虎倉時代記、虎倉物語聞書、虎倉戦記、十三流記等があるが、それぞれまちまちであり、本当のところの年月は確定しにくい状況です。
虎倉合戦は、伊賀久隆公が在世中の大事件でしたが、それを天正八年四月としながら、直家が毒を盛ったのが天正六年、狸汁を食って急死したのが翌年(7年)の三月となっています。また伊賀家久の久隆公弔い合戦としての忍山城合戦参加は天正六年十一月となっています。

  虎倉合戦 
     中島記       元亀三年七月
     備前軍記      天正二年四月十三日
     虎倉物語      天正七年
     陰徳太平記     天正八年春

  忍山城合戦
     高田村「清水寺記」 元亀四年八月
     陰徳太平記     天正六年十一月
     備前軍記      天正六年十一月

  伊賀久隆公の毒死
     城に帰って即日、急死とするもの。
     翌年まで生きていて狸汁を食って死んだとするもの  作陽誌所載
     鈴木孫右ヱ門宛の感状が天正七年十二月十三日付なので、その頃までは確かに生きていたという説
     神原家過去帳には、久隆法名 賢徳院恵光浄英居士  天正七年三月十六日歿 とある

 上記から、後の事項の時間的順序だてからも、虎倉合戦は天正二年四月十三日から十四日終日であろうと判断するのが妥当であろうと思われます。
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