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年表

年                表
940天慶2  平貞盛、藤原秀郷らと共に下総国で平将門を討つ。
1156保元1  保元の乱
1159平治1  平治の乱
1160永暦1  源義朝、尾張国内海荘で謀殺される。源頼朝、伊豆へ配流。
1185文治1  源頼朝、鎌倉幕府を開く
1189文治5  奥州平定。
1205元久1  北条義時、執権就任。
1210承元4  形部丞光郷、佐藤朝光相共々に伊賀国守護となり、伊賀姓を名乗る。
1219承久1  伊賀局、北条義時の後妻となる。
       伊賀宗光、政所執事となる。
1221承久3  承久の乱   伊賀光季討死。
1222貞応1  伊賀光氏、光泰、頼綱、光高、長田庄の地頭職につく。
1224貞応3  伊賀氏の変 女婿一条実雅の将軍擁立に失敗。   宗光が所業なる故に配流、所領五十カ国召し上げられる。
1256康元2  伊賀宗光卒去。
1273文永10 5月27日、北条政村卒去。
1281弘安4  弘安の役。元軍、暴風雨により敗退。
1331元弘1  元弘の変。後醍醐天皇隠岐へ流さる。
1333元弘3  赤松則村挙兵。
       伊賀光長、足利尊氏と共に軍の将として上京。
       足利尊氏、六波羅探題を攻略、新田義貞、鎌倉を攻略、幕府滅亡。
1335建武2  中先代の乱。
1336建武3  南北朝分立
       伊賀光長、京都三条河原にて討死。
       足利尊氏入京するも敗北し九州へ下向。
       湊川の戦いにて楠木正成戦死。
1338延元3  石津の戦い、北畠顕家戦死。
       足利尊氏、征夷大将軍就任。室町幕府開府する。  伊賀氏はこの頃、足利氏の御家人となる。
1362貞治1  紙工地頭、伊賀掃部亮高光、讃岐へ渡り、細川清氏を討ち、伊賀城により讃岐伊賀氏の祖となる。
1365貞治4  赤松氏備前守護となり、浦上氏守護代として三石城による。
1391明徳2  明徳の乱。山名氏衰える。    伊賀頼兼、幕府奉行衆となり、足利義満公の近習の臣となる。頼兼、紙工に在すが後豊岡へ。
1392明徳3  南北朝の合体。
1399応永6  応永の乱。大内義弘、堺で敗死
1400応永1  伊賀河内守頼氏豊岡より元兼に移り、福山城を拠点として足利義持公より四万五千石の御教書を受ける。
       伊賀兵庫頭行隆、虎倉城を築城。
       伊賀出雲守光昌、田土に大原城を築城。
1419応永26 応永の外寇。朝鮮の兵船、対馬に来襲。
1429永享1  尚巴志、琉球王国を建国。
1461嘉吉1  赤松氏滅亡。   伊賀氏功により備中、美作可増併せて十五万石となる。
1464応仁1  応仁、文明の乱がおこり、備前細川方につく。赤松氏復帰する。
       伊賀伊勢守勝隆相続する。
       仁熊氏大畑城、新山氏新山城、土井氏勝山城による。
1471文明12 赤松氏守護代の松田氏備前金川に築城する。
1483文明15 福岡合戦、松田氏衰える。
1495明応4  伊勢宗瑞(北条早雲)、小田原城を奪う。
1497明応6  浦上氏家臣宇喜多能家 松田氏と戦い、初めて史上に現れる。
1503文亀   浦上、松田、中山、金光、中島、須々木、伊賀など備前国の領有をめぐり小競り合いが続く。
1523大永3  毛利元就、家督継承。安芸郡山城に拠る。 伊賀伊賀守勝隆隠匿し、伊賀左衛門尉久隆相続する。
       伊賀伊勢守備中の押として一子仁熊左京進を伴い、藤沢城に入る。
1541天文10 武田晴信(信玄)、父信虎を追放。
1542天文11 斎藤道三、国主土岐氏を追放。
1543天文12 鉄砲伝来。
1549天文18 松平竹千代、今川家人質となる。
1553天文22 川中島の戦い
1555弘治1  厳島の戦い、毛利元就、陶晴賢を破る。
       織田信長、清州城に移る。
1556弘治2  毛利元就、尼子晴久を破る。
1560永禄3  桶狭間の戦い。信長、今川義元を破る。
1561永禄4  長尾景虎、関東管領就任。
1562永禄5  信長、松平元康、同盟する。
1567永禄10 信長、美濃国を攻略、岐阜城に移る。
1568永禄11 織田信長、足利義昭を奉じて入京、天下制覇に王手。
       伊賀氏、宇喜多氏ともに松田氏金川城を責める。7月7日落城。宇喜多氏盛んとなる。
1570元亀1  毛利氏、上京への開拓として備中への侵攻が激しくなる
       宇喜多氏、岡山城に移る。
       姉川の戦い
       伊賀氏、岡山へ館を置く。
       石山戦争
1571元亀2  信長、延暦寺を焼き討ち。
1572元亀3  信玄、三方が原の戦いで家康を破る。
1573天正1  信長、将軍義昭を追放。
1574天正2  毛利氏、虎倉へ攻め来る(虎倉合戦)。伊賀氏毛利勢に大勝する。
       秋、伊賀、毛利、宇喜多連合する。
1575天正3  備中松山城落城、三村氏滅ぶ。
       長篠の合戦。信長、家康武田勝頼に勝利する。
1576天正4  信長、安土城を築城。
1577天正5  信長、右大臣に任官。
1578天正6  宇喜多氏織田氏に欸を通ず。
       宇喜多直家、虎倉乗っ取りを企て伊賀久隆に毒を盛る。
       九鬼、滝川、木津川の戦いにて毛利水軍を破る。
       荒木村重、有岡城ろう城。
       上月攻め山中鹿之助高梁阿部の渡しで討たれる。
1579天正7  宇喜多直家、毛利、将軍方に与する美作三星城を攻め落とす。後藤氏滅亡。
       三月十六日、伊賀左衛門尉久隆卒去。
       竹中半兵衛、三木城包囲陣にて死す
       伊賀家久、毛利方へ応援を求める。
       天正七年十一月、毛利方、忍山城を攻撃、落城。
       伊賀家久、忍山城合戦に参加。勝尾山に陣をとり忍山城の東、勝尾山、十二本木、日応寺の峰伝いを固め、救援にくるであろう宇喜多直家を待ったが来ず、金川城を夜討して五十余騎を討ちとる。
1580天正8  三木城陥落。別所長治死亡。
1581天正9  二月、宇喜多直家病没、十歳の宇喜多八郎が相続する。
       八浜合戦。宇喜多基家死す。
       秀吉、鳥取城を攻める。
1582天正10 武田勝頼、自害し果てる。
       伊賀家久率いる虎倉勢は忍山城を本拠とし、備中への防衛ラインを築く。
       備中高松城の合戦。(~5月)
       清水宗治、自害
       織田信長、本能寺にて明智光秀に討たれる。
       山崎の合戦(秀吉、明智光秀を破る)
1583天正11 賤ヶ岳の戦い(秀吉、柴田勝家を破る)
1584天正12 羽柴秀吉が天下を掌握。  高松条約の実施により虎倉城が接収される。
       伊賀家久、虎倉城を退城し、忍山城を本拠とし、備中吉川へ退去する。
       小牧、長久手の戦い。
1585天正13 足利義昭、秀吉より一万石を贈られ、将軍職を辞す。
       東西境界線折衝がもつれ、備前備中の境から高梁川となり、伊賀家久は所領を失う。毛利輝元より防長へ三百石与えられ西下する
       長宗我部元親、秀吉に降伏。
1586天正14 秀吉、太政大臣となり、豊臣姓を賜わる。
1587天正15 秀吉、九州平定。
1588天正16 1月虎倉城、炎上
1590天正18 小田原攻め(北条氏滅亡)
       奥州平定。伊達政宗服属。
1592文禄1  文禄の役(~93)
1597慶長2  慶長の役(~98)
1598慶長3  秀吉、没。
1600慶長5  関ヶ原の戦い。
1603慶長8  家康、征夷大将軍となり、江戸幕府を開く。
1615元和1  大坂夏の陣
       一国一城令
       一国一城令により虎倉廃城となる。
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