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児島常山城落城(天正三年)、鶴姫奮戦空しの事

三村修理亮元親が自害し、備中の城はみな小早川に降参したが、備前児島の常山城の城主上月肥前守隆徳は、三村修理亮の妹聟で無二の三村方であったから、彼一人降参せず、四国の三好に援兵を乞うたが、三村一族は滅び孤立無援となっていたので四国の三好其の他誰一人加勢をするものはいませんでした。
家来たちはひとまず四国へ退き、体制を整え取って返す事を進言したが、肥前守は「城を枕に討死にもいとわず。命が惜しくば何処なりとも落ち延びて行け」と不退転の覚悟を語ったので家来たちはもはや答えるすべもなく、討死にを覚悟し籠城の手配りにあたりました。
六月四日、小早川隆景は備中より直ちに児島に進発して城を攻めたが、あまりに近づきすぎて攻めたため無数の死者や負傷者を出し、すっかり手こずって引き取り再度の攻撃をためらっている間に日も暮れました。
明けて、七日、その払暁、城内では最後の別れの宴であろうか、女性の声もまじる酒宴が続きました。
やがて、夜も明け、小早川方は再び城攻めにかかりました。
上月肥前守の妻鶴姫は三村家親の娘で、元親の妹にあたり、当時三十三歳でした。
寄せ手は彼女の兄元親の敵である。これを討たずしておめおめと自害するのは残念であるとて、身に甲冑をまとい、二尺九寸の国平の太刀を帯び、長刀を携えて打って出ようとしました。侍女たちは、これを引きとめたが聞き入れず、振り切って打って出たので侍女たちもこれに続きました。城兵も死を覚悟して目をそむけず、縦横に斬って斬って斬りまくり暴れまわったが、寄せ手は大勢で、八十三人の城兵も次第に少なくなっていきました。
「家来の者どもも多く討たれ、身も数々の傷を負った。防ぎ戦う事も最早これまでである。さればこの太刀も用はない。この太刀は国平の鍛えた三村家相伝の名刀である。これを兵部殿に進呈する。どうぞ我らが後生を弔って下され」鶴姫はこう呼びかけ、太刀をその場に投げて城中へ引き返しました。この堂々たる振舞いに、浦兵部をはじめ、寄せ手の者達は目を驚かせ、感嘆しないものはありませんでした。
鶴姫は城兵たちに「さあ城門を閉ざせ。妾はこれより心静かに自害します。それまでここを守ってくだされ」と言い置いて城内に入り、刀を口にくわえ、打ち臥して自害しました。肥前守の義母も当時五十七歳であったが、彼女もまた自害したので、肥前守が介錯して首を打ち落としました。嫡子源五郎高秀は十五歳でしたが健気に「父上におくれれば御心に掛かる事も御座いましょう。何とぞご安堵召されい」と言いざま続いて切腹したのでこれまた肥前守が首を撃ち落としました。そして、一家眷属の死を見届けた肥前守は、本城に赴き腹を切りました。

小早川隆景は、この城を修復し、山本四郎左衛門、渡辺伊豆に城番を命じて引き揚げました。
其の後、この常山城は毛利家より宇喜多へ渡されたので、直家は武将の戸川平右衛門を置いて城を守らせました。
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