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宇喜多直家、伊賀久隆に毒を盛る事

「備前軍記」

伊賀左衛門尉久隆は津高郡虎倉の城主で、無二の宇喜多方の武将であった。また、直家の家臣に難波半次郎というものがあったが、密かに毛利家に通じ、何とか謀計をもって伊賀左衛門尉を殺害し、毛利家への手柄にしようと思っていた。
 天正六年九月のころ、半次郎は、伊賀左衛門尉が毛利家に内通しているように直家に讒言した。直家はこれを讒言とも思わず、何の調査もせず、伊賀を殺害しようと企てた。左衛門尉は、兼ねて岡山城下にも屋敷を拵え、父子交代で虎倉の城を守り、また岡山にも詰めていた。
 左衛門尉が岡山に居た時、直家は左衛門尉を饗応するといって、左衛門尉の家来まで呼んで料理を振舞ったが、この時左衛門尉の料理に毒が入れられていた。
 さて城を下った後、直家の料理人で、伊賀の家来に所縁のある者があって、「今日の料理には毒が入っております。急いで解毒の薬を服用されて下されませ」と密かに告げた。
 これを聞いた左衛門尉は、
 「いま解毒剤を用いて難を免れたとて、とても生かしてはおくまい。同じ死ぬる命ならば、城に楯て籠り討ち死にすることこそ本望である」とて、急いで岡山を発し、馬を急がせて虎倉の城に戻り、子の刻に城に入ると、家来を集めて籠城の手配りをし、門という門をすべて差し固め、岡山の討ち手を待ちうけた。
 左衛門尉の嫡子与二郎(=与三郎隆家)は、急いで解毒剤を調えて父に進めたが、最早延引し手遅れになっていたためか、暁方になって左衛門尉はついに死んだ。
 左衛門尉が岡山を退去したと聞いた直家は、宇喜多源五兵衛を虎倉に遣わし、仔細を問わせることにした。
源五兵衛は足軽五十人を連れ虎倉に到着したが、その時にはすでに城門を差し固め、用心厳しくみえたので、源五兵衛は足軽どもを伏せ置き、わざと一人で城の城戸に近づき、直家の使者である旨を伝えた。しかし、答える者はいなかったので、仕方なく岡山に帰り、伊賀籠城の旨を復命した。しかし、直家は虎倉の城を攻める事もせず、そのまま暫く打ち過ぎた。
 伊賀与二郎(=与三郎)は城に籠ると共に、毛利家へ使者を立て、左衛門尉が直家に毒殺されたことを伝え、以後は毛利家に味方することを約束し、宇喜多追討の軍を出される時は、自分が先手を仕り、父の仇を報ぜん事を申し入れた。
 与二郎はその後暫く在城したが、舅の明石飛騨が内密に、このまま在城しては身の安全は保てまいと退城を勧めたので、正月下旬虎倉の城を落ちのび、毛利の軍が備中に進出したのを機に一緒に毛利側に退いた。直家はその城を長船越中に守らせた。
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