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忍山城の戦い、伊賀家久 悲涙の復讐戦の事。

天正六年九月、伊賀左衛門尉久隆の謀殺を図った翌月十月、宇喜多直家は羽柴秀吉を通じて、織田氏に親交を申し入れました。
これに対し、毛利氏は直ちに総勢三万の大軍を送り、虎倉城の南に位置する宇喜多の将、岡剛介、浮田信濃が立ち籠る大井上高田の忍山城を攻撃しました。十一月の事です。
虎倉城では、久隆は毒の影響から体調がすぐれず、伊賀与三郎家久が大将として指揮を執り、勝尾山に陣をとって、忍山城の東の勝尾山、十二本木、日応寺の峰伝いを固め救援にくるであろう直家を待ったが、直家は来ず、金川城を夜討して五十余騎を討ち取って帰城しました。

伊賀与三郎は直家に父久隆が毒殺された鬱憤散し難く、毛利家の力の下に如何にしてか復讐してやろうと忍山の戦にも奮って宇喜多が後詰押を望み、勝尾山に陣して機会の到来を望んだが、直家は当時既に秀吉と大挙毛利征伐を為さんとの企てが成っているので辺境の小競合いには左のみ心を用いず、只管次の大戦の準備に従事したので伊賀は手を空しうして地団太踏んだ。されども此のまま引揚げるのも口惜しく、北備前の地理は掌を指す如く知っているのを幸いに手兵を以て金川の城に夜襲を試みた。金川の守将宇喜多春家能く防ぎ伊賀は利あらずして引揚ぐ。
其の後ある夜またまた金川の油断を見計らい銃隊を先登として攻め入るに城中にては人々皆熟睡の際なれば、驚起して守備につき、矢玉を放って堅く守る。伊賀もとより少勢なれば明けて敵に見透かされては危うしと、首五十七を討ち取って引き上げ、之を隆景に送る、隆景其功を賞し、向後も忠節を心掛けるように懇命があった。

(岩田村誌)

  忍城に立ちて            隼 堂  作

    一
興亡星は流るる暦、四百     鼎錫移る将、四代
双山殿の夜半の月        斬蛇の剣炎精の光
彼に浮雲の恨みあり       吾に悲憤の涙あり
山川影は変らねど        春夢空しく跡もなし。

    二
忍山の麓、春去れば       花ことごとく涙なり
観音寺渡りて低き鐘声に     朽井の草のそよぐなり
残壘苔に埋もれつ        古城の姿、世々の跡
訪う人もなき城あとに      一もと咲ける女郎花。

    三
嗚呼「永劫の脈搏」は      何れの時か鎮まらむ。
破壁声なき傍に         また落日の蔭を帯び
流るる血汐、悲憤の俤      三千の勇士、忍ぶ時
われ詠嘆の声あげて       残壘の嵐に叫ばんか。
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