スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

伊賀氏データ

伊賀氏の家紋は
  代表紋は「上り藤」です。
  インターネット等では、「左三つ巴藤」があげられていますが、見たことありません。
  鎌倉時代はそうだったのでしょうか?
  基本は藤原ですので、やはり「藤紋」、アレンジして上り藤に中になにかあるものが多いようです。
  ただ、足利や北条とのつながりから、一部近いものを用いていたかもしれませんが、、、。
  「加茂大祭」の各社の「棒使い」等には、源家や足利の二つ引き等が使用されていますのでそれらも使用していた可能性はありますね。



伊賀氏の馬印は
  朝日の縁取り、金の扇です。


伊賀氏の旗印は
  八矢車です。



伊賀氏の宗派は
  「天台宗」です。
  現在は、変わっている家庭もあるかもしれませんが、基本は国宗であった「天台宗」です。
  したがって、現在も旧領地を探るには、天台宗の分布をみればほぼあてはまっていると思います。
  ただ、宗派を無理に押し付けていたのではなく、他宗派も認めていたようですから、全てが「天台宗」でなければならないとした訳ではなく、他宗派の地域も保護した古刹寺の宗派もあります。

伊賀氏は信仰に熱心でした。
  領内各神社に神領地を寄進したり、加茂大祭を盛大に執り行って地域振興と安泰祈願を奉じています。
  また、荒廃した神社仏閣の再興は熱心に行い、また、新規に神社仏閣の造営も行っています。
  
伊賀氏は祭事を重視した?
  吉備中央町には、現在も続く岡山県の無形文化財として、県の3大大祭の内の2つである「加茂大祭」「吉川八幡宮当番祭」が現在も継続されています。
  「加茂大祭」は、伊賀氏滅亡後は一時寂れていたとの事ですが、その後復興され、現在も華やかで是非、一度ごらん頂きたいものです。「棒使い」などをみると、この地が武芸にさかんであった事がうかがえます。
  「吉川八幡宮当番祭」は約1カ月にわたる長期のお祭りで華やかさはありませんが、古式ゆかしく、おごそかな神事です。ただ、派手さに欠け、観光的にみせる要素が少なくイベントとしては夕方の一時のみですので、少し寂れてきていることが残念です。

伊賀久隆公花押



伊賀氏は摩利支天を信仰し、守護神として大切に扱っています。
  当家も本年、50年振りに社を新築しました。
  当家の「摩利支天」社は西庄田の伊賀家旧屋敷跡の西端に鎮座されていましたが、昭和37年の大火後に別地に屋敷を移転し、「摩利支天」の場所を除き、敷地を30メートル程切削しましたので社だけが存在する小高い土地として独立していました。当然、月日が経つにつれ周囲の竹が猛勢をふるい荒廃しかけていました。
 また、光林山神護寺より寄進された、石燈籠もいつかの台風によって倒れ折れてしまいました。

 この「摩利支天」は昭和の大火により屋敷が全焼した際、すぐそばの椎の木は火柱となって燃え上がり、摩利支天社の下も火が這い、周囲もすべて灰となりましたが、摩利支天のいわれどおり、社は燃えず、御幣だけが外へ飛び出していました。未だに、周囲からは其の時の焼け跡が出ますが、すごいことです。
 そして、この度、2011年3月11日に社を新築し、石燈籠も補修でき、祈祷しました。くしくも、東北に大震災の起こった日でした。
 祈祷を始めると、空は一転真っ暗になり、何事かとあわてるほどカラスが異常に泣き始め、横殴りの雪が吹雪となりました。
 みんなが、異常気象に驚きましたが、祈祷が終わるとうそのように、天気となりました。
其の時、東北では大変なことになっていたんですね。
とにかく、しんじられない位すごかったんですね。
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリ
プロフィール

野楽人(のらくんど)

Author:野楽人(のらくんど)

最新記事
月別アーカイブ
最新トラックバック
最新コメント
TOEICボキャドリル

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。