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虎倉城麾下の諸城(4)

大畑城 (下湯山城、勘兵衛じろ)
城主  宇都宮若狭守勝明(仁熊若狭守勝明)、仁熊勘兵衛勝吉

旧賀陽町大字湯山(現吉備中央町)にあり、宇甘川沿いの南側に位置し、旧竹之庄街道を藤沢城との両城で挟む形で築かれています。
備中松山城方面からの攻撃に対し、虎倉城の出城として築城されたものであろうと思われます。

城主の仁熊氏は、十九代伊賀兵庫頭行隆より出て、竹之庄仁熊の在地し仁熊氏を名乗りました。
土井下総守が、将軍家より預かり伊賀氏客分となっていた宇都宮家をついでいましたが、伊賀家郎党に戻り、土井氏を名乗り虎倉城家老職となりましたので、仁熊勝明が宇都宮家を継いで宇都宮若狭守勝明となりました。
宇都宮家は北関東の名族で足利氏が将軍になり「京都御扶持衆」として将軍家に仕え、関東探題のような立場でしたが、関東公方持氏の反乱により衰えたので、将軍家は伊賀河内守頼氏に宇都宮家を客分として預けたのです。
そして、仁熊氏は息の勘兵衛勝吉と二代の大畑城主となりました。

仁熊勘兵衛に関し、虎倉記に
 「阿部源吾と云う者、上下四十騎にて、毎度竹之庄田土あたりの在家へ押し入り乱取致し候事度々なれ共、此方(虎倉方)より出入り申内には早く引取候故得打たず、伊賀久隆意外の立腹にて、神原惣右衛門(大原城主)、仁熊勘兵衛(大畑城主)両人早速忍て討ち取り申すべき旨蒙り、信心を掛け、或夜田土村へ出見申候処に、阿部源吾に行き逢い仁熊勘兵衛弓にて射ち申候へば、左脇を射る、神原惣右衛門走り掛り切り給ふ、勘兵衛は源吾が家来を追い散らし、惣右衛門源吾を討ち、首を取る、勘兵衛申すには我が弓にて射候故なり。首は此の方へ渡され候様にと云う、其の時惣右衛門手疵数か所蒙り候得ば、其の方の矢は当り申さずと論議いたし、惣右衛門高名に紛れなく惣右衛門首を取る也」とあります。

竹之庄田土辺りに、夜な夜な盗賊(毛利方?)が出没し、民家を荒らしていました。虎倉方は成敗しようと駆けつけるのですが、逃げ足が速く捕まえられません。
自分の領土内の農民が落ち着いて生活できない現状に対し、伊賀久隆は非常に立腹し、神原惣右衛門、仁熊勘兵衛に成敗するように申しつけました。久隆の立腹に必ず成敗しなければ、と待ち伏せしていましたところ、はたして現れ、交戦の末、見事討取り、住人の不安を取り除きましたが、毛利方の侵入は度々あったようです。

中島記(備中兵乱記)では、中島元行の都合によって書かれていますので、虎倉方が侵入して悪行を行ったようになりますが、田土あたりは、境界に近いけれども虎倉方です。「賀陽町史」などは筆者の参考文献が中島記(備中兵乱記)になっていますので、全て、中島元行及び毛利方の領土であったような記載ですが、中島元行の自画自賛が入り、取りつ取られの攻防の激しかった地域ですから、短期でも手にした立場で記載されているもので、通した歴史背景から見ると誤りであろうと思っています。

中島の領土はもう少し西から南方面、旧賀陽町でも大和地区から総社方面ですね。おおざっぱには、現在も残る宗教分布に、おおむね天台宗を中心としたエリアは伊賀氏、法華を中心としたエリアは毛利方ととらえてもかまわないと思います。ちなみに予断ですが、吉川村藤田地区は備前法華でも、不授布施で金川から落ちてきたものが住み着いたのではないかと私的に推測しています。

仁熊勘兵衛に戻り、天正二年の毛利氏侵攻の時の事です。
 「右の場所にて片山与七郎、仁熊勘兵衛と首の取り論仕り候、清常山の岸にて与七郎敵と組み倒し頼むと申すなり、首を取る計りを其の方へは取らせずと申し、口論の処へ神原惣右衛門通りかかり仔細を聞き、助けを頼むというからは、仁熊殿勘忍あるべしと扱い、片山首を取る」
弓の名手として鳴らした仁熊勘兵衛です。
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初めまして!

御来訪頂きありがとうございます。

下湯山城主 若狭守勝明は伊賀兵庫頭より出でており、当時伊賀家の客分となっていた北関東の名族 宇都宮家の跡式を引き継ぎいだ名家ですね。

仁熊姓の方からは、以前にもアクセス頂きました。
よろしければ、情報のご提供等、お願いいたします。

仁熊家の方は、仁熊八郎様が大変熱心に伊賀氏研究をされており、仁熊家には資料も多く残っているのでしょうか?
仁熊各家も益々ご繁栄の由お慶び申し上げます。

本ブログを開設させていただいております当家は、吉川 伊賀家となり、四郎左衛門の子三郎五郎より出でた畑ヶ鳴 伊賀家、同じく信久より出でた野原 伊賀家、そして家久の子 三郎左衛門より出でた吉川 伊賀家 の三家の内の一家となります。

しかし、歴史の経過より、今日では資料は遺失し、残る物はほとんどなくなっています。

歴史の闇に埋もれる 伊賀氏一族の先達の栄光と歴史を後世に伝えるべく微力ながら活動しております。

是非、ご協力の程よろしくお願いいたします。
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