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虎倉城麾下の諸城(7)

妙見山城
城主  能勢常陸介

その昔、吉備津彦命がこの山に向かって弓を射て、怪物を退治したといわれる伝説がある場所であり、昔から豪族が住んでいたのでしょうか?
この辺りは鉱物資源が豊富な所ですので、大陸から技術を持った人々が移り住んでいたのでしょうか。
虎倉城時代は、能勢常陸介の居城であったとの事です。

肥前国の城主、能勢肥前守三代肥前に住す、後、浪人して毛利氏に入る。その後備前へ来り、伊賀兵庫頭の時二千貫で妙見山城主となり、虎倉城落城まで居城  とあります。

史本によると、松田氏の臣などとなっているものもありますが、他と同様間違いです。

城山は久保田神社を祀っていますが、鳥居の傍らの円墳は城主の墳とも云われています。
この妙見山には、黒喰山魔法宮の円城狸キュウモウの子を祀ってあると云われています。


三谷城
城主  宮脇民部

詳細不明


三納谷城
城主  高見小四郎

この城も、史書によっては松田氏の臣となるが他と同様間違いであろうと思われます。
なぜなら、一族の高見源右衛門は虎倉の将であり福山城に居ましたし、虎倉城の近くに在り、周囲が皆虎倉城方であり、虎倉の勢力下に一つだけ他家の城があったとは考えられません。
しかも、伊賀氏の後の石原氏はこの三納谷の地下資源が元で争ったとされているのですから。

地下資源採掘のための耕地や住居跡があり多くの人の出入りがあった事が分かります。


山之田城
城主  日名源十郎義秋

日名源十郎の室は新山氏の娘。
日名氏は、清和源氏佐竹氏の末裔で、備中国成羽に居住し、三村氏に属していましたが、天正三年松山城戦の際、毛利氏の側となり、功あって加茂郷美原に移り山之田に居城したといいます。


茶臼山城
城主  江田左衛門

昔の古墳を利用して築城されていて建部地区を管轄していました。


中山城
城主  行森喜左衛門、小左衛門

加茂郷尾原の行森氏と同族の行森喜左衛門、小左衛門が居城しました。



太田城   白石城

城主  田淵十郎左衛門、橋本氏、佐藤修理、岡豊前、土井相馬介

建部町太田にあり、田淵十郎左衛門が築城したと伝えられています。
その後、松田氏の臣である橋本氏、後、佐藤修理が居城し、宇喜多直家の時期は岡豊前が入っていた事もあるようです。
伊賀久隆公の時代は、土井相馬介が居住したといい、後の宇喜多時代も「土井氏五百石で居住す」といいます。土井氏は宇喜多滅亡後は和田に移り住んでいます。


瀧ノ城
城主  伊賀久隆

赤坂郡鳥取庄、大鹿村(御津町国ヶ原の下)となります。旭川の対岸となる虎倉城の出城です。
川筋交通の守備地で重要な拠点となります。


鍋谷城
城主  伊賀勝隆、伊賀久隆

瀧ノ城の下、旭川の東岸の絶壁の上にあります。峠を越せば山陽町仁保に出ます。
牧石河原で松田氏と浦上氏が戦った際に、伊賀勝隆はこの城を基地として出陣しています。
伊賀久隆は、大永三年に虎倉城を相続するまではこの城にいました。
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