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鷲林寺 梵鐘

鷲林寺は、天暦元年の創建と云われ旧和田村ですが、庄内を度々移転したと云われ、梵鐘は木山寺に移され、その後、昭和の大戦に供出されてなくなりました。

  梵鐘の銘文
 備前国津高郡長田庄中村牛頭山鷲林寺
 新撰鐘此方教体以音聲為佛叓天下
 叢林以禮楽為清規爰有耕然黙主
 比丘尼理常明此理故忽以年来所持天神
 筆之金字法萃経一部施入當寺令僧
 道林普化一字一銭少縁頓成千均大器
 可謂願力所全大切不奇寅夕鏗々扣
 推良哉依此上善々々祝延皇国万歳儒
 日増輝本寺両檀那益昌家門繁栄山門
 弥堅開山基業三途八難盡脱輪筈法界
 有情同證圓通仍唱伽陀以當銘記矣
 七軸金文較半銭 千鈎重器鎮長田
 聞聲悟道不寄特 驚起牛頭峰頂眠
 幹緑比丘 道休

 大檀那  藤原朝臣伊賀左衛門尉頼兼
         前伊賀太守沙弥直兼

 當寺比丘益極在宥謹誌
  太歳  明徳二辛未十一月日

これは、南北朝の統一となり五十九年間の争乱の時代も終わり足利義満の専制政治が始まる最も足利政権が充実した時代の幕開け頃で、備前長田庄は鎌倉時代以来、地頭職として任官する伊賀氏の領地であり、皇室御領として安定した地域で、伊賀頼兼は有利な立場にあり、この銘文はその頃の頼兼の意志を表明しています。

「地頭」と書かず一地域ではなく長田庄全体の領主としての立場を宣言しています。


一方、弟の直兼は伊賀家本貫地である伊賀の国の太守でしたが、南北朝五十九年間の戦いで荒廃し将軍近侍といえどもその領地は安全とは言えず、南北朝の動乱により、事実は将軍、天皇、護良親王などの御教書濫発によって領有は名目上のものとなってしまいました。鎌倉時代よりの領有で太守といえどもどうにもなりませんでした。
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