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虎倉神社 (虎倉城日月宮)

応仁から文明にかけての頃、乱世に対抗するため、堅固な城地の必要性から虎倉城築城がおこなわれ「小倉」の地名を「虎倉」と改め、伊賀一門の主城として構えました。
その規模ははなはだ広大で何千何万もの兵を収容するに足りるもので、天然の峻険な山容が安易に近付くことを許さない非常に堅固な要塞です。しかも、外郭を東は宇甘川、西は加茂川の流れで天然の外濠とし、備前備中美作の交通の主要路を押さえる重要な土地でした。
城地の鎮守として摩利支天社、天神社愛宕勝軍地蔵を祭祠しました。
兵庫頭行隆は晩年にいたり、隠居し道印と号し、伊賀(服部)伊勢守勝隆が相続しました。

文明三年(1471)城地東方の鎮守として虎倉日月宮を創建しました。
後、大永七年(1527)伊賀久隆の時、虎倉神社と改称し甲冑一領旗章六流寄進しました。更に後年、元和八年には、虎倉城の忠臣三十七人の霊魂を合祀しています。
 尚、虎倉落城後も正月には甲冑を帯し、槍刀弓矢を携え虎倉城に上がり弓始めの式を行っていたと伝えられています。
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