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清水寺

天文十三年、伊賀久隆公は備中湯山の清水寺を再建造営しました。

 備中下竹荘湯山龍角山清水寺勧学院縁起

「敬白 勧進沙門修造備中国上房郡龍角山清水寺本堂、仰当山者比叡山之末流仁安三年大檀那平相国清盛公草創也、彼本尊大慈大悲観世音菩薩出大唐天台玉泉寺而鎮座於此地、以来運歩人隆除三毒難、正和五年国主再建焉侶磐若坊法師、又応永十八年安芸守沙弥掃部助修理之、又天文十三年備前小倉城主伊賀左衛門尉久隆公傾首霊前因茲為治国利民再建之…………」

このように、伊賀久隆は神仏への信仰が厚く神社仏閣の再建も積極的に行っています。

また、清水寺には丸山城主末裔の墓があります。

  湯山清水寺の伝説によれば、江戸時代初期、備中国住人で伊賀氏の末裔、吉川四郎左衛門久直の一子角太夫久益は、一族菩提のため二十九歳で入信、一心に仏道修行し、延宝四年六月十三日より断食の行に入り、七月四日、寿七十五歳で入定したと伝えられています。
  大信入戒知蔵禅師
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