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日吉神社

天文十八年(1550)、伊賀久隆が日吉神社を再建しています。

天文十八年巳酉二日九日日吉山王棟札
 御津郡津賀村大字下加茂 日吉神社
  用材  松板棟札
  寸法  堅三尺○三
      横五寸五
      釼先高七分

表敬白奉造立棟上日吉山王社後宝殿
 御本殿家益伊賀藤左ヱ門尉同若子様
 御立願解同脇本願高屋俵兵衛尉重国判
  同敷地四至傍事重谷之内前ハ谷河限り
  山は南はやけをのはなを限り
    東は日吉谷中をのはなを限り
    北はまさ谷限
    同備前国長田庄大工  藤須弥六左ヱ門
           小工  藤須新次郎

     千時天文拾八年季配上莚始二月九日同三月二十三日癸己舜有謹言


 日吉社祝札天文拾八季三月廿三日
           癸己日
    本願者  高屋俵兵衛尉重国判

藤左ヱ門とは、藤は姓、左ヱ門尉は官職名で藤原左ヱ門とは伊賀左衛門尉久隆の事です。
この棟札から、伊賀左衛門尉久隆にはこの時若子が生まれているのであるが、この子は伊賀与三郎隆家(のちの家久)ではなく虎倉相続もしなかったとする考えもありますが、素直に伊賀与三郎隆家(家久)であると捕らえる方が自然ではないでしょうか?

  なお、日吉神社の境内拝殿の右、神門寄りに五葉の松があります。
  周囲目通り八尺三寸、高さ百余尺、樹姿約三十尺の処より五板を分かち、真立す。樹齢四百余年、近隣に比類なき銘木なり。里人この樹の由来を伝えて曰、
  大永七年正月伊賀藤左ヱ門尉備前赤坂郡鍋谷村より虎倉城に移るや、居城乾方の鎮守として日吉神社を崇敬し、男子の神授を立願し、この樹を奉植したるに幾許もなく、長子三郎五郎虎倉城に生誕せり、よってその奉賽のため天文十八年春、父子の本願を以て社殿を建立奉献す。
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