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3月11日 悲しみを越えて!

今年も3月11日がやってきます。もうあの日あの悪夢から、1年が過ぎようとしているんですね。
1年を迎え、TVでも連日あの日の映像が繰り返されていますが、見るにつけ、言葉にならない悲しみでいっぱいです。月並みですが、復興の日が1日でも早く、全ての人に笑顔が戻りますように、、、。

 真摯に生きる事の意味を考えさせられ、命の尊さを痛感させられます。
 この国に生きる全ての人に幸あらんことを!



3月11日、当家は摩利支天社が古くなったため、新たに新築し祈祷を行った日でした。祈祷を始めると、辺りは一転、猛吹雪で横殴りの雪が吹き付け、カラスが泣き叫んだ事を思い出します。
その重なりから忘れようがないインパクトだったんですね。












藤原秀郷を祖とする伊賀氏は、そのルーツを遡れば、決して東北は無縁の地ではなく、古くは縁故に奥州藤原氏及び佐藤継信、忠信兄弟、更に佐藤義清(西行法師)などがおり、光宗、光季や朝光の頃は、常陸国、上野国等の地頭となっていました。



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Re: ルーツを求めて

>佐藤様 コメントありがとうございます。
 佐藤左馬介、どこかで目にした覚えがあるのですが、記憶がつながりません。藤原氏の系図をたどれば載っているのではないでしょうか?

>佐藤伊賀守長男佐藤左馬介の名があります。
素晴らしいですね。400年以上前から1つの場所で墓石が存在するのは相当家が安定していたのでしょうね。

>左馬介以降は、現在まで判明しておりますが、伊賀守以前は、言伝えしかありません。
中世以降がはっきりしているのならば、比較的簡単ではないでしょうか?


> 系図は、昭和10年に焼失しました。見ていた父や伯父達の話と書き置きから、天児屋根命から始まり、秀郷流北家の流れになっておりますので、佐藤伊賀守朝光の筋目ではないかと愚考しております。

記載から想像しますと、秀郷流藤原氏でしょうから、ご指摘の通りと推測されますね。

>先祖墓は、豊後国にあり、左馬介の父伊賀守は、美濃か伊賀からきたのではと記載されておりますので、調べますと「総見公武鑑」に伊賀者奉行として佐藤氏の名前がありましたので目下追跡調査中で

藤原不比等より右大臣魚名、鎮守府将軍秀郷を祖とする伊賀氏は佐藤左衛門左衛門尉公光より従五位上前司朝光まで佐藤姓を名乗り後伊賀国守護となったのを契機に伊賀姓を名乗っています。

佐藤姓を名乗られていることからしますと、その間に分かれているのでしょうか?

また、朝光の子 伊賀四郎左衛門朝行が鎌倉騒動の際、鎮西に配流されています。
なんらかの原因により、再び佐藤姓を名乗る家ができたとも考えられます。

いづれにせよ、その時代は比較的明瞭になっているものと思われますのでたどるのは容易なのではないかと思われます。
ルーツは同じであろうとおもわれます。

九州にも伊賀姓のお宅は数多くございますようで、私も、西下した伊賀家久が博多名島でなくなるまでを明瞭にしたいのと、隆盛を極めた朝光から光季、光宗に別れた全国各地の伊賀氏関係諸家の情報をしりたいと願っております。今後とも、よろしくお願いします。
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