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ツイッター投稿まとめ 宇喜多、松田と伊賀の関係は?

ツイッター投稿まとめ

伊賀氏と宇喜多、松田の関係は?


伊賀久隆はwikipediaなどの記載にあるような宇喜多直家の家臣ではありません。松田の家臣でもありません。地頭で地方国人ですが、足利幕府の御家人で将軍近習の流れです。宇喜多とは縁戚関係ですがあくまで、4者同盟によってのつながりです。



宇喜多や松田の家臣とする考えは時代背景から、西備前で勢力をはかったのが松田氏で、応援に駆け付けた記帳書が家臣も与力も同じ記載になってしまっていたところからでしょう。別に、宇喜多や松田の禄を食んでいたわけではありません。足利幕府の御家人です。

(追加)
宇喜多に関しては身内衆となります。相互関係によって宇喜多の戦に出陣していた事は事実です。
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松田の家老と…

野楽人さま、おはようございます。
少し前に読んだ本にも、確か、『伊賀氏は、宇喜多に就く前は松田の家老』といった記載がありましたような…。
たぶん、この認識でいる人は多いと思います。
戦国期は、江戸期のような主従関係ではない…というのは認識しつつ、やはり多くの人が、『一番勢力の強い領主以外は、皆、家臣』という感覚に囚われがちなのだと思われます。(私も…ですが☆)
伊賀家の身分や家格の正しい認識、広まると良いですね!!

不明な繋がり

ナタ55様 ありがとうございます。
玉松城の家老職に関しては、受けていたのかもしれません。
現在の会社のも、社外取締役がいるのと同様、外部より共闘、共同運営のための連携を模索して籍を持つ事は否定できないですね。

しかし、多くの書籍で言われている(といっても、出所がすくないので、備前軍記や松田関係記録等限られますが)のは、
福岡合戦の際、松田氏は友党である伊賀氏にはかり、共闘を約し、虎倉城下の鍋谷城主 伊賀修理亮 を援軍させている記録がおおもととなっています。
伊賀修理亮は伊賀兵庫頭の弟で虎倉城の家老職です。
この修理亮の参加をもって、松田の傘下としているものが多いのです。

その際、与力も家臣もみな人並びに記載されたので、後に記載内容から分類をする者の主観的意見が一般に広まったのであろうというものです。

御津の歴史館などでは虎倉城さえ、松田の城などといっていますので、時代が経てば、嘘も真実になるもので、面白ければそれでよし、的広がり、推測でそうであろうと思われる考えが横行してしまいますね。

まあ、500年からの年月経過には
のちの江戸期などに創作された事象が真実となるのでしょうから。

それが歴史の面白いところかも、、、。

江戸期の創作…

野楽人さま、おはようございます。

>それが歴史の面白いところかも、、、。

おお、さすが名族のおおらかさ…と、感服仕っております♪
「一般ではこう言われているけれど、実は…」ということを知るのも、歴史ファンが楽しく嬉しく思う瞬間♪
伊賀氏の真実が知られてゆくのも『少しずつ、じわじわと…』のほうが、名族の品格に合っている気がして参りました♪

「備前軍記」も、史実に基づいてはいるものの『江戸期の創作♪』と思ったほうが良いようなところもあって、でも『面白い』というのが罠ですよね☆
『歴史を楽しく思う』入り口としては、軍記ものが良い…とは思われつつ、その『面白さ』が罪作り…というところでござりましょうか…。
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